角松敏生のベスト・アルバム『1998〜2010』を聴きながら、このタイミングにこのアルバムがリリースされるのは、けっして偶然ではないと感じている。

 これまでに彼は『1981〜1987』、『1988〜1993』という2組のベスト・アルバムを出している。1993年にリリースされた『1981〜1987』は、デビュー曲「YOKOHAMA Twilight Time」から7枚目のアルバム『SEA IS A LADY』までの楽曲から構成されたもの。スタイリッシュなサウンドのなかにリアルなメッセージが込められた彼ならではの表現スタイルを獲得してゆく過程、いわば角松敏生の確立の時期をカバーしたアルバムだ。収録されている楽曲の多くがニュー・バージョンとして収められていることも、音楽表現を獲得するための試行錯誤の大きさを示しているのだと思う。 2000年には、『BEFORE THE DAYLIGHT』(1988年)から、“フリーズ (アーティスト活動休止)”直前の『君をこえる日』(1992年)までの楽曲から成る『1988〜1993』をリリース。この時期、角松敏生は日米のトップ・プレイヤーたちとの積極的コラボレーションなどを通じてサウンド表現をさらに突き詰めるとともに、より深い作品表現を求めて自らとの内面をえぐっていった。その結果として、5年もの間“フリーズ”せざるを得ないところまで傷ついてしまった、自らの魂との格闘期を俯瞰する作品でもある。

同じように今回の『1998〜2010』を角松敏生のキャリアとして見れば、アーティスト活動を再開してからのシンガー・ソングライターとしての表現の深化やサウンド・クリエイターとして根源的なアプローチを広げてゆく試みを展望する、つまりアーティストとしての成熟を示す作品といえるだろう。

 角松敏生の個人史としてベスト・アルバムを見ると、彼はその時々で、自分の音楽表現の可能性を真摯に追い求めながら、同世代・同時代のリスナーにリアルなメッセージを発信し続けてきたことが再確認できる。そうしたアプローチの結果なのだろう、彼の音楽を聴いていると、彼個人の想いにとどまらない、その一時々を生きていこうとする人々の気配、そして時代への眼差しが強く浮き出ているという気がするのだ。

 そうした意識で聴き直してみると、『1981〜1987』は世界有数の経済大国への道をエネルギッシュにひた走る時代の無軌道で享楽的な空気にどっぷりと浸りながらも、自らを律するアイデンティティを探し出そうと試行錯誤する時代の魂のメッセージとして受け止めることができるし、続く『1988〜1993』は飽食の時代の頂点からバブル崩壊へと急転してゆく時代の、喪失感・無力感を抱えながら、なんとか持ちこたえて前を向こうとした人々の生々しい心の記録として受け止めることもできる。

 しかし『1998〜2010』は、これまでリリースされたベスト・アルバムとはちょっとニュアンスが違う気がする。それまでのベスト・アルバムには、角松敏生にとってひとつの区切りとなる時期に、そこから先への道しるべとして自らの足跡を振り返るというニュアンスがあった。けれど『1998〜2010』は、角松敏生が転機を迎えて自己確認をするというよりも、この困難な時代に向けてこれまで彼が発信して来たメッセージを、あえてもう一度はっきりと掲げようとした作品なのだ、という気がする。

 僕がそう感じる理由は、2009年にリリースしたアルバムに『NO TURNS』というタイトルをつけたように、角松敏生は少なくとも音楽的転機には直面していないと思えるからだ。転機どころかこの間の彼は、自らの想いを表現するシンガー・ソングライターとしての原点を踏まえながら、音楽表現の幅を着実に広げ、より深い音楽表現へと発展させてきた。“解凍”後の12年間に彼が発表してきた作品群が、多彩な表現アプローチを見せながらも、その視点にまったくブレがないことは、そのままオリジナル・アルバムと言っても何の違和感もない『1998〜2010』の楽曲たちからもわかるだろう。
『1998〜2010』には、角松敏生が一貫した眼差しで捉えて来た12年間が映し出されている。それは、バブル崩壊以降の迷走する日本であり、大きくバランスを崩して軋んでいる東西冷戦終結後の世界の姿だ。阪神大震災、9.11ニューヨークテロ、イラク戦争、アフガン紛争……。この12年間、私たちは何度も平穏な日常がいかに脆弱な基盤しか持っていないかを痛感させられる出来事を体験してきた。

 この間、角松敏生が歌ってきたのは、急流のように激しく流れる時代のなかで、私たちはどう生きていくのか、という問いかけだ。もちろん、そこに明確な回答があるわけじゃない。しかし、音楽が人間の想いを伝えるものである限り、角松敏生が発信しつづけてきたメッセージは、同じ時代を生きる私たちにとって他人事ではないのだ。


 角松敏生が『1998〜2010』を制作したのは、3月11日以前のことだ。けれど、ここに収められているメッセージは、今の私たちにとってより切実で必然性のあるものになっている。このアルバムは、これからを生きようとしている私たちのためのアンセム(頌歌)集とも言えるのではないかと思う。




text by 前田 祥丈