お互い会う前の印象は?
   
堂珍 「お会いする前に関西の人だと聞いていたので、そういうノリなのかなって・・・」
川村 「関西のお姉ちゃんみたいな?(笑)」
   (一同笑)
川村 「私も、広島のお兄ちゃんなのかなって。(笑)」
川村 「いやいや、レコーディング前にレピッシュのタツ君(CHEMISTRYのツアーサポートをしている)から『堂珍がお世話になるそうですが、広島出身のナイスな奴なので宜しくお願いします』って、父親のようなメールを貰って。終わった後にも『どうでしたか?』みたいなメールまで貰ったの。なんか凄く堂珍君ていろんな人に可愛がられてる人なんだなって。それで、私は普段からテレビで見させていただいていて、そんなに笑わない人なのかなって思ってたんだけど。(笑)」
堂珍 あ、それよく言われます。(笑)」
川村 「笑わないというか…けっこうクールな人かなって。でもすごいよく笑うラフな(笑)、いい感じの好青年。なんか凄い真面目な人だと思いました!その通りでした!」
実際会ってみてどうでしたか?
   
川村 「さっき言ったとおりです。真面目で凄く正直な人。真摯な、まっすぐな人だと思いました。」
堂珍 「僕はですね。関西なノリの人だと思っていたので、その通りの人でした。」
   (一同笑))
川村 「関西の人やと、そういうことらしいですわ。(笑)」
堂珍 「そのなんて言うか、陽気・・・。」
川村 「(笑)わてら陽気な関西人みたいな。」
堂珍 「でも僕もあれですよ。真っ直ぐな方なんだなって思いましたよ。」
川村 「ううん。歪んでるで。かなり歪んでるで。(笑)」
堂珍 「(笑)」
アーティストコラボレーションについて思うことは?
   
川村 「質問かたいね。(笑)堂珍君いっぱいしてるよね?」
堂珍 「そうですね。あっでも、ぼちぼちですね。実際僕らデビューして2年目で、言ってみたらぺーぺーなんですよ。でも、一番勉強になるなっていうのはその人の仕事ぶりっていうか…。」
川村 「仕事ぶり?」
堂珍 「他のアーティストはどんな風にしているのかって分からないじゃないですか?だから、色々と見て今後の自分たちに活かせるように勉強になっているっていうのが大きいですね。」
川村 「そうなんだよね。自分の現場しか分からないからね。私も色々な方とやらせていただいているけど、その人その人によって違うもんね。」
堂珍 「うん」
川村 「堂珍君とやったときは、スタジオに入ってみて堂珍君はものすごい歌を大事にする人だなって思ったの。なんていうか、言葉の発し方を盗ませて貰ったというか、ハッとさせられることがあったの。」
堂珍 「いや、もうありがとうございます。」
川村 「具体的に言うと、私はブレスって大事だなっていつも思ってるんだけど、それは歌う前のブレスを意識することで。でも、堂珍君は多分自然にやってるんだと思うんだけど言葉のあとにも『はぁ』ってはくようなブレスがあって。言葉を発した後のブレス、なんて言うか残り香のような。それが凄い行間になっていて、この人は凄いボーカリストだなって。堂珍君とやってそういう発見があったり。」
堂珍 「(照笑)」
川村 川村「フェイクとかもそう。自分の存在を確実に残しているというか。ああ、これや!って思ったんですよ。存在感てこういうこと言うのかなって。ブレス一つで発する存在感って凄い。私とても勉強になりました。すいません。私ばかり喋ってしまいまして。」
「朝焼けの歌」をはじめて聴いたときの印象は?
   
堂珍 「ぶっちゃけ…」
川村 「ぶっちゃけちゃって(笑)」
堂珍 「CHEMISTRYの曲で、メッセージ性が強いというか、そういう歌を今のところ歌う機会がなかったんですよ。僕としては『朝焼けの歌』でそういう歌と出会えたというか、はじめてメッセージ性のある歌を世の中の人に聴いてもらえることが出来た曲で、凄く嬉しかったですね。」
川村 「ラブソングって感じじゃないもんね。そういうふうに言ってもらえると嬉しいです。」
一緒にレコーディングしてみてどうでしたか?
   
堂珍 「楽しかったですよ。終わった印象としてまず楽しかったです。気持ちよかったし。その一言につきるというか。なんていうですかねぇぇ×××。」
   (一同笑)
川村 「そんな急にオヤジっぽくならなくても。(笑)」
堂珍 うーん。なんかCHEMISTRYの文句言うわけじゃないですけど。」
   (一同…)
堂珍 「まぁ、言わなくてもいいんですけどね。」
   (一同笑)
堂珍 「自分が活き活きしながら出来てるなあって感じながらやれてたので、凄く楽しかったです。」
川村 「最初に私が思っていた堂珍君のコーラスパートの音ってのがあって、それとちょっと違って堂珍君が歌った箇所があったんだよね。」
堂珍 「そうでしたよね。」
川村 「でも、その方が全然よくて。私はこのコードの中ではこの音じゃないとヤダみたいにもの凄くとらわれていたなあって。その堂珍君が歌ったその部分によって、あの曲を凄く開放してもらえたなあって思って。それで、もう自由にやってみて!という感じでフェイクとかやってもらったでしょ?」
堂珍 「はい」
川村 「それで自由にやってもらって、ところどころ堂珍君的に気になったところがあったみたいだけど、もう私はそのままいかそうって思った。」
堂珍 「(笑)」
川村 「もう凄い。そう、曲が喜んでるって感じがもの凄くしたから。なんか出来るだけ何も直さないでやりたいなぁって思った。本当にほとんど一発だったよね?全ていただきっ!みたいな感じでしたね。うん、私もすごい楽しかった。」
初めて買ったCDは何ですか?
   
堂珍 「えーと、『スタンドバイミー』」
川村 「うっそぉ。かっこいいねぇ。すごいかっこいいねぇ。」
堂珍 「同名の映画があったじゃないですか?小学生が死体を発見してどうのこうのっていう。」
川村 「うん。線路とか走るやつね。」
堂珍 「あの映画がやってたころ、ちょうど俺も小学生だったんですよ。で、俺も裏山だとかにみんなで基地とか作って遊ぶのって好きだったんですよ。」
川村 「そういうことやってたんだ。秘密基地とか作ってた?」
堂珍 「もう全然作ってましたよ。それで、(スタンドバイミーは)基地作りよりももっと楽しそうな冒険のようにもの凄く見えてたんですよ。こんな冒険したいなって思ってて、そして最後に流れるあの曲を聴いて。それで親にねだったんですよ。」
堂珍 「小学生、中学年くらいですかね。」
川村 「だそうです。(笑)私バリバリものごころついておりました。」
堂珍   「(笑)」
川村 「そっか、『スタンドバイミー』か初めて買ったCD。」
堂珍 「もちろんその前にいいなって思ってた曲とかあったんですけど…。」
川村 「自分からどうしても欲しいって言って買ったのが『スタンドバイミー』?」
堂珍 「はい。川村さんは?」
川村 「私はピンクレディーです。(笑)」
堂珍 「おー…。」
川村 「知らんのちゃう?」
堂珍 「いや、…はい。」
   (一同笑)
川村 「ピンクレディーのライブ盤です。なんかいっぱい曲が入ってるから。その時はライブって知らなくて、ライブ盤の意味が分からなかったの。だからこの方がいっぱい曲入ってるって思って買って聴いてみたら、全然演奏が違うじゃん!って。それで後でライブ盤の意味を知って。」
川村 「じゃぁ、邦楽は?」
堂珍 「うーん…ちょっと記憶にないですねぇ」
川村 「やめとくわ。ショック受けそうやから。(笑)」
堂珍 「(笑)」
川村 「でも秘密基地とか作ってたんだね。嬉しい。私も作ってたし。」
今まで異性に言われた一番ひどい言葉は何ですか?
   
堂珍 「『最低』っていう、この2文字ですね。」
   (一同笑)
川村 「最低?」
堂珍 「はい。これ、今だに一番傷つきますね。多分。」
川村 「これって、どういうシチュエーションで言われたの?」
堂珍 「いやだから、言われた後カバン持って走り去るみたいな。(笑)」
川村 「うそっ!ドラマみたいだね。『最低よっ!パシッ』みたいな感じ?」
堂珍 「そんな感じだったと思います。」
川村 「本当?『最低ぇー』とかそんなんじゃなくて?(笑)」
堂珍 「本当に絵に描いたような感じです。」
川村 「絵に描いたような最低や?(笑)」
   (一同笑)
川村 「皆さん聞きました?堂珍嘉邦、『最低!』と言われたそうです。でもこの部分はマネージャーさんがカットするかもしれません(笑)」
堂珍 「(笑)」
小中高時代何委員会でしたか?
   
堂珍 「小学校の時は体育委員。」
川村 「え?体育委員て何すんの?」
堂珍 「あのぉ、毎週水曜に縄跳び。」
   (一同笑)
堂珍 「朝礼の時に一番前に立ってみんなの前で縄跳びするんですよ。」
川村 「(笑)模範縄跳びすんの?」
堂珍 「はい。縄跳び結構得意だったんですよ。」
川村 「そうなん?(笑)それってあんまり他で言ってないでしょ?特技は縄跳びだって」
堂珍 「たまに書きますけど、そういえばあんまり言ってないですね。」
堂珍 「でも3重跳びは出来ないんですけど。」
川村 「でも3重跳びって普通なかなか出来ないよね?」
堂珍 「でも、綾跳びの2重跳びとか、後ろ綾跳びの2重跳びとかやってましたね。」
川村 「綾跳びって、あったよね(笑)」
川村 「特技、縄跳び。しかも、後ろ綾跳びの2重跳び(笑)知らされざる堂珍嘉邦がここに。」
堂珍 「(笑)たまに痛いんですけどね。失敗したとき顔にピシッとか当たるんで。」
   (一同笑)
堂珍 「中学校は何委員とかやってませんでしたね。」
川村 「野放し?」
堂珍 「中高はグレてたんで。」
川村 「グレてたん?(笑)どういうグレかた?」
堂珍 「あのぉ、別にボンタンとかは履かなかったんですけどね。」
川村 「ボンタンっていう時代じゃなかったでしょ?」
堂珍 「ギリギリ。」
川村 「ギリギリボンタン。(笑)バギーとか知らん?」
堂珍 「えーっ。知らないです。」
川村 「あぁ、すいません。思いっきりひかれました。(笑)」
堂珍 「(笑)」
川村 「バギーとかじゃなくて、ボンタンだったんだねぇ。広島やもんなぁ。広島のヤンキーってすっごい気合い入ってるイメージだよね?」
堂珍 「うーん」
川村 「広島のヤンキーってなんであんなに集団で歩いてるの?」
堂珍 「わかんないです。でも俺はそういう集団には入らなかったんですけどね。」
川村 「一人ボンタン?」
堂珍 「いやっ、ストレートでしたよ。ボンタンは格好悪いと思ってたので。自分の中でちょっとした美学があって、ボンタンとかを履いて自分の力を周りに誇示するみたいのが嫌いなんですよ。男は黙って行動するのが格好いいって思ってて。」
川村 「ということは、一人でグレてたの?」
堂珍 「まぁ、グレてるって言ってもかわいいものでしたけど。授業とかサボって友達と飯食いに行ったりだとか…」
川村 「じゃぁ、中高時代はグレてたので、クラブとかも入ってなかったの?」
堂珍 「クラブは、えっと、卓球部。(笑)」
   (一同笑)
川村 「卓球部発見?私もそうだったの。(笑)」
堂珍 「中学校の時ですけど。高校の時はバスケやって、それで音楽部も。」
川村 「音楽部?音楽部でもやっぱり歌うたってたの?」
堂珍 「そうなんですけど、周りはバンドとして出来上がっていたので入るところが無くて(笑)。人数も少なかったし。なので控えめでいいので入れてくれって頼んでコーラスをやってました。(笑)」
川村 「(笑)控えめでいいのでって。グレてたのに控えめにコーラスをやってたんだ。いい奴ですね。(笑)」
堂珍 「そうすると、ストレスってたまるじゃないですか?それで、違う奴とデュオとして組んだり、一人でやったりギターで弾き語りでやってましたね。」
川村 「そうなんや。でも中学時代は卓球部だったと。(笑)今度卓球やろうよ。」
堂珍 「いいですね。」
うまそうな料理、どこから食べますか?
   
堂珍 「俺はポテトですね。ジャガイモ好きなんですよ。」
   (一同笑)
川村 「ポテト?じゃぁ、世界最後の日に食べたいものってある?」
堂珍 「うーん。特にそういうのないんですよね。」
川村 「空腹のまま、俺は逝くぞと。(笑)」
堂珍 「はぁい。(笑)」
川村 「(笑)」
堂珍 「(笑)何だっていいんですよ。まぁ肉が好きなんで、ステーキとかですかね。」
グループで小旅行。どうも話がまとまらない。
あなたはどの役割?
   
堂珍 「一応平和主義者なので、もめごとにならないようにまとめます。」
川村 「(笑)まとめんの?自ら。」
堂珍 「まとめてるように見えないかもしれないんですけど(笑)まとめてるつもりかもしれません。」
川村 「困るやん(笑)。」
堂珍 「リーダーですって感じではないんですけど。」
川村 「一人一人話を聞いてみたりとか?」
堂珍 「そうですね。」
川村 「あんまり争ったことない?人と。」
堂珍 「そんなこともないんですけど。争うのってバカらしいなってのはあります。争ってる自分はすごいヤダし。もちろん、喧嘩とかでぶつかるのはいいんですけど。なるべくしないようにはしたいと思います。まぁ、もうちょっと争おうかなとも思ったりもするんですけどね(笑)」
川村 「別に争わなくていいと思うんだけど。(笑)」
堂珍 「例えば、おやつがあったとして、どっちが大きい方を食べるかとか。そういうので争うのも嫌なんですよ。」
川村 「いまだにそんなんで争う?(笑)」
堂珍 「(笑)」
川村 「兄弟は?」
堂珍 「3人兄弟です。」
川村 「それで、おやつで争ったりとか?」
堂珍 「しましたね。やっぱり。」
川村 「そういう時は?」
堂珍 「そういう時は、大きいやつをとってましたね。(笑)」
川村 「あかんやん、ボスやん。(笑)」
堂珍 「(笑)」
川村 「そうなんだ。まぁ、でも大人になったらちゃんとこう周りを見てって感じになったんだよね。」
あなたの好きなアニメキャラクター。あなたのヒーローは?
   
川村 「これショック受けそうやな。星飛馬とかじゃないんやろうな、きっと。何でしょう?」
堂珍 「やっぱり、北斗の拳とかキン肉マンとかですね。」
川村 「(笑)」
川村 「ケンシロウでしょ?。ケンシロウって『ひ・で・ぶー』っていうやつやったっけ?『お前はもう死んでいるとか。』」
堂珍 「そうですね。はい。大好きでしたね。」
川村 「北斗の拳ってラオウとかだよね。何だっけ兄弟で格好いい人いたよね?」
堂珍 「トキとか。」
川村 「そうそうトキ。私トキ好きだな。」
堂珍 「他には『タッチ』とかも好きでしたね。」
川村 「タッチ!(笑)」
堂珍 「小学生の時、通学するときに帽子被るじゃないですか?」
川村 「被る被る。」
堂珍 「赤白帽だったり、学校によると思うんですけど、俺ら黄色帽子だったんですよ。」
川村 「私も」
堂珍 「それで、『上杉和也』の方に憧れてて、同じように黄色帽子から前髪を出したりとか真似してました。」
   (一同笑)
川村 「面白いね。堂珍君。(笑)」
堂珍 「ムースとかもつけてたんですよ。」
川村 「小学生でムース?おしゃれだね。」
堂珍 「そうしたら先輩に…」
川村 「なめんなよコラと。(笑)」
堂珍 「いや、『お前上杉和也みたいだな』とか言われて。実はバカにされてるんだろうけど、そう言われて俺は嬉しかったんですよね。(笑)」
   (一同笑)
堂珍 「兄の『上杉達也』の髪型は嫌いだったんですよ。」
川村 「そんなこと知らんし。(笑)」
堂珍 「なんか、妙な七三ぐあいが凄い嫌だったんですよね。(笑)」
川村 「もういいし。知らんし。(笑)」
堂珍 「(笑)」
川村 「じゃぁ、キン肉マンは?キン肉マン風な髪型にはしなかったの?(笑)」
堂珍 「(笑)キン肉マンはやっぱり小さい頃、キン消しがすごい流行ったし。」
川村 「キン消しって何?キン肉マン消しゴム?」
堂珍 「はい。人形なんですよ。」
川村 「何それ?」
堂珍 「100円のガチャであるじゃないですか?」
川村 「ガチャって言うの?ガチャガチャのこと?」
堂珍 「そう。そのガチャでキン消しとか集めて相撲とかやって遊んでましたね。」
川村 「あんまり他でキン消しとか言わんほうがいいで?(笑)」
堂珍 「いやでも、みんなはまってましたよ。なんか甘やかしてる家庭は…」
川村 「甘やかしてるって(笑)」
堂珍 「(笑)そういう家に遊びに行くと、キン消しが沢山あって。まぁ、僕はほとんど持ってなかったんですけど。」
川村 「そういう子ってクラスにいたよね?なんか、甘やかされてる家庭の子ね。(笑)」
堂珍 「ファミコンも凄い好きだったんだけど、買ってもらえずに…。」
川村 「その子の家に行ってやってたんだ。普段はいじめてる子だったりするのに?(笑)」
堂珍 「いや。仲のいい友達でしたよ。」
川村 「ふーん。髪型は『上杉和也』で。」
堂珍 「(笑)」
川村 「知らされざる一面を垣間見ましたけど。」
   (一同笑)
川村 「じゃぁ、初めて買ったマンガってその辺?」
堂珍 「初めて買ったマンガは…スラムダンクですかね。」
川村 「スラムダンク、いいね!」
堂珍 「はい。あれ見てバスケット始めたんですよ。」
川村 「本当?正しいと思うな。誰が一番好き?」
堂珍 「うーん…」
川村 「私言っていい?私は『仙道君』。綾南高校の。」
堂珍 「へー。僕は『流川』ですかね。」
川村 「あのかっこいい人。『流川君』みたいな髪型してたの?(笑)」
堂珍 「いや、してないです。(笑)」
川村 「(笑)」
堂珍 「『流川君』の何も喋らないところや、あと、いっつも自転車でいろんなところにぶつかってたじゃないですか?」
   (一同笑)
堂珍 「なんかそういうの面白いなって。」
堂珍 「あと『庶民シュート!』とか言って友達と遊んでたりしてましたね。」
川村 「今日は色々と堂珍嘉邦、堂珍キュンのいろんな面を知ることが出来ました。私が一番衝撃を受けたのはやはり『上杉和也』の髪型をした小学生だったと。(笑)」
堂珍 「(笑)」
川村 「ということで、今日はありがとうございました。」
終了後
   
川村 「お疲れ様でした。おもしろかったー。」
堂珍 「で、髪型は『上杉和也』なんですけど、実は帽子は広島カープだったんですよ。(笑)」
   (一同笑)
川村 「やっぱり広島ファン?」
堂珍 「そうですね。やっぱり。」
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堂珍嘉邦(どうちん・よしくに)
S53・11・17生まれ 広島県出身

川畑要(かわばた・かなめ)とのデュオCHEMISTRYとして2001年3月『PIECES OF A DREAM』でデビュー。 同年発売の1stアルバム『The Way We Are』が300万枚のセールスを記録。2002年日韓共同開催のワールドカップ[KOREA/JAPAN]TMではオフィシャルソング歌い、開会式でのパフォーマンスは全世界に放送された。2002年はライブツアーを精力的に行い、実力派ヴォーカリストとして名実共にトップアーティストとしての地位を確実なものに。「a CHEMSITRY joint 012」として川村結花『朝焼けの歌』に堂珍嘉邦がコーラス参加。CHEMISTRYとしては2002年12月に7thシングル『My Gift to You』2003年01月には待望の2ndアルバム『Second to None』をリリースする。