. ■1967 <04.08> ピエール瀧、静岡県静岡市に生まれる。 <12.26> 石野卓球、静岡県静岡市に生まれる。 . ■1985 石野卓球、二番目のプロジェクト「人生」を開始。 この年、ピエール瀧が共通の友人を介して石野宅を訪ね、 両者は意気投合。ピエール瀧は「人生」に加入する。 . ■1986 人生、デビュー・シングル“9 TUNES FOR MIRAI” をナゴム・レコードからリリース。 . ■1987 人生、シングル“LOVE”“FASCINATION” をナゴム・レコードからリリース。 . ■1988 人生、アルバム“顔として”をナゴム・レコードから、 また12インチ・シングル“バーバパパ”を キャプテン・レコードからリリース。 . ■1989 人生、解散する。 ■1989 <04.27> 石野卓球、ピエール瀧を中心に「電気グルーヴ」結成 ※当時のメンバーは他に、高橋0777、耳夫、DJ・K太、 吉沢。もう一人、後藤くんというドラマーがいたが、 初台のデニーズで行なわれた最初の打ち合わせだけ参加して辞める。 また吉沢はタブ譜を見ないとコードが押さえられない特殊ギタリストだった。 <08.20> 大阪ファンダンゴでデビュー・ライヴ。 ※石野卓球はセーラー服、ピエール瀧は彼女の手製の帽子、 高橋はネクタイ姿。耳夫は事故のため欠場。歌詞うろおぼえのため、 一曲目「ウイ・アー」から叫ぶパフォーマンスが続いた。 <12.07> 新宿ロフト(with 死ね死ね団) ※DJ・K太の参加した唯一のライヴ。 . ■1990 <01.15> 横浜CLUB24(with ヒカシュー、イエロー太陽'S) ※この頃、レパートリー4曲でMCが異常に長いステージ。 <01.16> 新宿ロフト(with フラワーズ、たけのうちカルテット) ※ライヴ後、当時まだ発足前だったレコード会社 「ソニー・トレフォート」(現キューン・ソニー) のスタッフが接触。他社のアプローチもいくつかあったが、 ライブ後の寿司のおみやげが選択の大きな因となった。 レパートリーは幻の「川」「宮崎」を含む6曲。 <02.09> 東十条ギグホール <02.11> 原宿クロコダイル ※対バンに、ディーヴォのコピーバンド「ティーポ」 で砂原が出演。石野、瀧と初めて顔を合わす。終演後 、楽屋で瀧、砂原の機材バッグを自分の物と間違え、平謝りする。 <02.18> 大阪ファンダンゴ(with ミック宮川ショー) <03.04> 浅草常磐座(with 東京スカパラダイスオーケストラ、 近田春夫&ビブラストーンズ) <04.21> 大宮フリークス(with YBO、痛郎) <04.25> 新宿ロフト(with きどりっこ、フェスティーボ) ※ミニコミのイベント出演。対バンの面子は「人生」の名残がまだ強い頃。 <05.05> 渋谷エッグマン(with ミンカパノピカ、モデルプランツ) ※テクノポップのイベント出演。 <05.06> 三軒茶屋ヘブンズドアー(with SMist、サーファーズオブロマンチカ) ※石野卓球、耳夫がゲスト出演。ちなみに「SMist」とは AV女優・冴島奈緒のバンド。 <05.07> 新宿サウンドハウス(with フレッシュ) ※レコード会社に無理矢理ブッキングされたお披露目ライブ。 にも関わらず、このライヴの打ち上げで、高橋と耳夫に脱退勧告。 <05〜06> デビュー盤用のデモ・テープ・レコーディング ※曲は「ビコーズ」「オールスター家族対抗蛇合戦」「忘れちゃうモン」 「宮崎」「川」。 <06.28> インディーズ・レーベル「SSE」よりアルバム“662 BPM by DG”をリリース。 新宿 ロフト(with スペイン、びっくりしたなもう) ※このライヴからCMJK(現コンフュージョン)が加入。 <07.15> 原宿ルイード(with スペイン) ※MC1時間の強烈ライブ。ちなみに「スペイン」とは「木魚」出身バンド。 <07.23> 新宿ロフト(with ミンカパノミカ、ソニックスカイ) <08.05> 大阪ファンダンゴ(with スペイン) <08.07> 名古屋E.L.L.(with スペイン) <08.22> 新宿ロフト(with チコヒゲ・ユニット、ムスタングAKA) ※この頃までインディー・バンドの対バンが多かった。 <08.27> 初めて出演したテレビ番組「冗談画報」(フジテレビ)が放映される。 ※司会は泉麻人と桜沢エリカ。これを機会に「電気=電波芸人」との印象が、 当分の間テレビ業界に深く根ざすことになる。 <09.02> 渋谷インクスティックDJバー(with 根本敬、A.K.Iプロダクションズ) ※「N.O.」の“踊るポンポコリン・バージョン”を演奏。曲間を瀧が DJでつなぐはずだったが、1曲目でコンセントに足をひっかけて抜いてしまう。 <10.05〜08> 「トレフォート発足記念特出ライヴ」(大阪amホール、名古屋ハートランド、 日本青年館)出演。 ※日本青年館では総勢10名のチアガールを従えてのステージ。 媒体関係者にはトレフォート腕時計と、なぜか「米」がおみやげとして配られた。 <10.15> 吉祥寺バウスシアター(with YBO、黒百合姉妹) ※インディー・レーベル“SSE”のイベント。 <10.18> 新宿ロフト(with アリスセーラー、ビデオャ鴻fオ) <10.21> 大阪ファンダンゴ(with オーディオスポーツ) <10.23> 名古屋E.L.L.(with ピズム) <10.25〜11.22> イギリスのマンチェスターにて、トニー・マーティン(ヒプノトーン) ら地元プロデューサーを招いてアルバム・レコーディング。 ※なぜかメンバーは現地集合。およそ1ヵ月に渡る滞在中、 CMJKはロールケーキにあたって腹をこわし、UNOに負けた石野が 2万円巻き上げられる。 <12.15> 横浜CLUB24(with 近田春夫&ビブラストーンズ、高木完) ※マンチェスター録音の新音源を使ってのステージ。サポートのギターを この頃から必要としなくなった。 <12.19> 新宿ロフト(with ミック宮川ショー、ウルフルズ) <12.23> 大阪パラノイア(エスケンのカメレオン・ナイトのゲスト出演) ※共演はエクスタシーボーイズ、人間ポンプの安田里美など。 後の電気で世話になるエンジニア・渡辺省二郎とここで初めて出会う。 <12.28> クラブチッタ川崎(with 餃子大王) <12.30> 大阪ファンダンゴ(with ミンカパノミカ、ミック宮川ショー) . ■1991 <01.05> 渋谷ラ・ママ(with スペイン) ※石野、幕開けから客席に居続け、最後の2〜3小節しか歌わず 。なぜか瀧が「生ゴミOH2」「ビンゴ」など歌う。 <02.01> TMNとのカップリングによるデビュー・シングル“RHYTHM RED BEAT BLACK”リリース ※オリコン初登場2位。小室哲哉の威光を利用するといった意味では、昨今のコムロ・ブームの先駆けとも言えるデビュー。石野曰く「電気解散までこのチャート記録は抜けないだろう」。東京タワー展望台でデビュー・ライヴ「東京タワーでワンマンショー」。 ※14曲演奏予定が時間切れにより一部カット。人生の元メンバー・王選手がダンサーとして飛び入りするが、メンバーからは無視される。 <02.07> 名古屋E.L.L. <02.08> 大阪ファンダンゴ <02.13> 横浜CLUB24(TVKトマトファーム収録) ※オールナイトのイベントだったが、観客5人。瀧、女性客を小脇に抱えて走り回る。 <02.17> 新宿パワーステーション(with ムスタングAKA、16TONES、SKAFUNK) 原宿クロコダイル(with 加藤賢祟) ※クロコダイルでは砂原のバンド「オーティズム」も出演。電気は1時間半の持ち時間にも関わらず、メニューは尺の短い「CATV」など3曲。 <03.02> クラブチッタ川崎 <03.16> 博多マリアクラブ ※博多のディスコcナのテレビ収録。B'Zの曲にのって勢いよく登場したが、演奏が始まるとイケイケギャルは引きまくり、フロアで踊っているのはイラン人のみだった。 <03.20> クラブチッタ川崎 <03.27> 大阪amホール ※「電気グルーヴのキーセン・ツアー」開始。 ツアー告知広告は根本敬の画によるものだった。また、このツアーの模様は「CATV」のプロモ・ビデオで見ることができる。 <03.28> 名古屋E.L.L. <04.01> 渋谷クラブクアトロ ※ソロ・デビュー・アルバムのお披露目ライブ。キャパシティーを大きく超え、700人以上の観客が入った。ライブの前、NHKのオーディションを受けに行ったが、瀧の問題発言を理由に結果が保留。このステージの途中、ようやく合格が発表された。 <05.22> 大阪a.m.ホール ※プロモーションのため無料ライブ「CALL266ツアー」開始。 <05.23> 名古屋クラブクアトロ <05.29> 原宿ルイード <05.31> 広島ウイズ・ワンダーランド <06.02> 福岡IMSホール <06.03> 熊本TKUホール <06.05> 札幌ベッシーホール <06.06> 仙台141ホール ※このライヴを最後にCMJK離脱。 彼の母親が持ってきた差し入れのサクランボは、瀧がホテルですべて食べ尽くす。 <06.08> ニッポン放送「オールナイトニッポン」土曜2部レギュラー開始。 <06.23&28> C&Cミュージックファクトリー来日公演(大阪フェスティバルホール、日本武道館)のオープニング・アクト ※武道館のステージから砂原良徳が正式加入。客席の最前列にいた特攻服姿の観客を見つけた石野、演奏中に砂原に近寄り「あいつ、見てみろ」と耳打つが、なぜか砂原は「お前、辞めろ」と聞き違え、「入った途端に、俺クビ〜?」とディープになる。 <07.07> 沖縄市宣野湾海浜公園野外公園(NHK BS ヤングバトルのゲスト) ※那覇空港を降り立った石野、沖縄の暑さを「悪魔の風」と表現する。 <07.28> 広島絵の島「PLEASURE ISLAND」イベント ※観光ツアーのオプションで企画された無人島ライブ。 洞穴内に設置したステージの背後には、マムシの宿る無数の穴があいていた。 <08.01> 新宿日清パワーステーションにてライヴ「電気グルーヴ大百科」 ※「パワステ WEEKLY 3DAYS」開始。この日は歴代メンバー(耳夫、高橋、CMJKが登場し、過去のアレンジで曲が演奏された。 <08.08> 新宿日清パワーステーションにてライヴ「ピエール瀧の不思議ナイト」 ※瀧を大幅にフィーチャーしたセット・メニュー。 <08.22> 新宿日清パワーステーションにてライヴ「集まれRAVEっ子ナイト」 ※ライヴ前の楽屋で、理髪店の領収書を経費で落とそうとした瀧に石野が怒って大喧嘩。「本番前だから止めて」と砂原が仲裁に入るが大いにビビる。 <08.23> ドリルキング・レーベルより瀧勝“人生”リリース ※大阪通天閣と原宿ホコ天でキャンペーンも行なう。 プロモーションで登場したテレビ、雑誌では 「テクノ・ハウス・ラップ界の雄」と表現された。 なお、瀧勝はこの1ヵ月後に死亡予告。 <08.24> 大阪クラブクアトロ ※「パワステ3days」の総集編的な内容。アルバム“UFO”からの新曲に加え、「人生」「力医師」などが演奏された。 <08.26> 名古屋クラブクアトロ <09.21> シングル“MUD EBIS”リリース。 ※砂原加入後、初のレコーディング作(800YEN MIX)。 カップリングはYMOのカバー曲 「COSMIC SURFIN' Live at Automatic theatre L.A.」。 “Automatic theatre”とは“児童会館”の洒落だが、 誰にも伝わらず埋もれたギャグだった。 <09.22> クラブチッタ川崎(with SKAFUNK、ロング・バケーション) ※新宿ロフトの20周年イベント。楽屋で巻き起こった他バンドの喧嘩に、またしても砂原が仲裁に入る。 <10.4> 関西医科大学学園祭(with ボニーダック) <11.1> 早稲田大学学園祭 ※砂原、大遅刻の責任を取らされ、最後の曲「力医師」をアクションつきで歌う。 <11.2> 名古屋セントラルパーク・イベント(with ダーリンズダーリン) <11.4> 鶴見大学学園祭 ※会場に着いた途端、出迎えの学生にポスターを持たされ、 学内の宣伝に回されそうになる。 <11.13> 大阪IMPホール ※「仏恥義理TECHNO GROOVEツアー」開始。当時のレパートリー全21曲、 計3時間のステージは現在までの最長不倒記録。 <11.17> 渋谷公会堂 ※武道館クラスのPAを無理矢理設置し、食堂のおばさんが眉をひそめる大音量を響かせる。なお、入場者全員にワラがプレゼントされた。 なぜか映像記録がされていない幻のステージ。耳夫が「オールスター家族対抗蛇合戦」にゲスト参加。日出郎率いる新宿2丁目のオカマ・ダンサーも出演。 <11.21> セカンド・アルバム“UFO”リリース。 ※CMJK脱退、砂原加入前後の状況の中、石野と瀧ふたりで進められた作品のためか、人生時代の曲のリメイクなどが目立つ。このアルバムのプロモーション時期、はじめて石野失踪が起こった。 <11.25> 福岡IMSホール <11.26> 熊本FEELINGホール <11.28> 仙台ビーブ・ベースメントシアター <11.29> 札幌ペニーレイン ※故郷に錦を飾った砂原が打ち上げにて泥酔し 、奇声を発しながら電柱をよじ登り、深夜の札幌を走り回る。 電気加入以来、砂原が初めて瀧のド胆を抜いた記念すべき夜となった。 <12.3> 広島ウイズ・ワンダーランド <12.4> 岡山ペパーランド ※砂原が「WE ARE」「電気ビリビリ」「ボクの姉さん」を歌う。 <12.6> 下関シーモールホール ※打ち上げ後、酔っ払った石野、雨の路上で見ず知らずのオヤジと殴り合いの大喧嘩。 <12.20> 名古屋クラブクアトロ <12.26> ニューヨークのホール「RITS」イベント ※日本から観客を引き連れて、バブルガム・ブラザースらと行なわれた観光ツアー・ライブ。ちなみに電気目当ての客は5人。砂原は生まれて初めての海外旅行だった。 <12.30&31> 渋谷クラブクアトロ「クラブ・ワンダーランド」 (with ヴィーナス・ペーター、キュートメン) ※31日のステージでメンバーは髪を金に染め、 パンク&ヘヴィメタ・スタイルの衣装で登場。ところでこのイベント名、どう思う? . ■1992 <01.01> クラブチッタ川崎「SHOUT OUT」 ※前年大晦日からのヒップホップ系イベント出演。 20分のアクトながら初期ベスト・ステージとの声高し。 終演後、ホテルで金髪を黒に染め直し、元旦の朝からTVKの番組出演で寒中の観覧車に乗せられる。 <01.14> クラブチッタ川崎(ファンダンゴ・イベント) ※ボアダムス、ウルフルズらと共演。 <02.14> 新宿パワーステーション(筋肉少女帯10周年記念イベントのゲスト) ※ビートルズを模した、特注の襟なしスーツ姿で登場。 <02.19> クラブチッタ川崎「TVK LIVE TOMATO」 ※テレビ番組公開録画。観客からヴォーカルを募り「MUD EBIS」を演奏。 <03.13&14> 大阪クラブクアトロ ※「うんこわしづかみ、うんこもりだくさん東名阪クアトロ2days」開始。 ブラボー小松(ギター)、江川ゲン太(ドラムス)、コスマス(パーカッション)という生バンドを入れた形式でのツアー。 一地区に「わしづかみ」と「もりだくさん」の2メニューが用意された。 <03.19&20> 渋谷クラブクアトロ <03.22&23> 名古屋クラブクアトロ <03.26> 大阪クラブ・アンテナ ※同クラブのオープニング・イベント。 この時、客として来場した田中フミヤと出会う。 <05.21> 初の単行本「俺のカラダの筋肉はどれをとっても機械だぜ」(宝島社)発行。 <05.23> 日比谷野外音楽堂 ※「第六回野糞探し大会」関東編。まだ完成前の 「I am not the resurrection」(後の「人事を尽くさず天命をまつ」) や「ずっこけマッシヴ生まれて初めてソープに行く」(後の「DS MASSIVE」) といった新曲とともに、シーナ&ロケッツの「レモンティー」もカバーされた。 <05.26> 大阪IMPホール ※「第六回野糞探し大会」関西編 <07.23> 新宿日清パワーステーション「HARUO IN DANCE BEAT」 ※演歌歌手の三波春夫とのジョイント・ライヴ出演。瀧勝が登場し 「おまんた囃子」などコブシを教授されるが、おもいきりハズした歌声を発し、 自殺モノのボケを披露。 <08.01> 新宿日清パワーステーション「2階からギョー虫ぶらさげおじさん」 ※ラジオ番組を通じて懇意となったお笑いコンビの浅草キッドとのジョイント・ライヴ。「HARUO IN DANCE BEAT」で溜まったストレスを発散する。5曲中、キッドが「ビコーズ」を歌う。 <08.31> 新宿日清パワーステーション「武道館前夜祭」 <09.06> 西武所沢球場「ニッポン放送夜班祭・オールスターファミスタ対決」 ※パンツ一丁でグラウンドを走り回り、球場への立ち入りを禁止される。 <09.14> クラブチッタ川崎(トーキョー・エアランナーズ・イベント) ※「おなら吸い込み隊」名義でシークレット出演。 アルバム“KARATEKA”収録の「オヤジ」を歌詞を変えながら延々とループさせる。 <10.20> ニッポン放送「オールナイトニッポン」火曜1部に昇格スタート。 <10.21> サード・アルバム“KARATEKA”/シングル“スネークフィンガー”同時リリース。 ※“スネークフィンガー”はテレビ番組「浅草橋ヤング洋品店」主題歌。 カップリングは「カフェ・ド・鬼〜おもしろい顔MIX」と「スネークフィンガー〜Progreggae mix」 <10.28> 名古屋ダイヤモンドホール ※「全国鼻毛あばれ牛ツアー」開始。ツアー名は当初「全国死尿食べある紀ツアー」 だったが、新聞に掲載できないことを理由に却下。 ツアー中、なぜか真心ブラザース の「どかーん」をカバーしている。 パチパチ増刊「電気グルーヴ“KARATEKA”マガジン」(ソニーマガジンズ)発刊。 <10.29> 静岡GIZE ※演奏開始早々に観客の震動により階下から苦情が殺到し、3曲でライブが中断。主催者の「観客の皆さん、静かにノってください」との注意も虚しく、一時間の協議の末、結局中止となる。 <11.02> 日本武道館 ※ステージ前説に浅草キッドをゲストに迎える。 この夜のステージの模様はビデオ“ミノタウロス”で観ることができる。 <11.03> 下北沢シェルターにてシークレット・ライブ ※観客は男限定200人。メンバーは終始全裸で演奏。ちなみに1曲目は「ナイナイ・シックスティーン」だった。ゲストに天久聖一と椎名基樹が出演。客にはもれなくパーマンのTシャツがプレゼントされた。 <11.09> 仙台ビーブ・ベースメントシアター ※開演前、楽屋でプログレを聴いていた石野が、瀧から「もっと元気の出る音楽をかけろ」と怒られる。 その瀧は本番中、マイク・スタンドに頭をぶつけて流血。 <11.13> 札幌ペニーレイン <11.19> 熊本FEELINGホール <11.20> 福岡IMSホール ※打ち上げ後、瀧がツアー・スタッフ野村に強烈な回し蹴りをお見舞した、通称「雨の親不幸通り事件」起こる。 <11.23> 大阪IMPホール <11.25> 神戸チキンジョージ <11.26> 広島ウッディー・ストリート <12.4> 静岡ロイヤルホテルBFロイヤルホール ※中止となった10.29公演の振り替えステージ。 <12.31> 渋谷公会堂「パチパチトマト」 渋谷クラブクアトロ「クラブ・ワンダーランド」 ※大晦日の掛け持ちライブ。クアトロではオルターネイト 風の特瑞サつなぎ姿で登場。ラスト曲「マイアミ天国」では、共演のCMJK(当時キュートメン)が数小節分ヴォーカルをとった。 . ■1993 <03.03> フジテレビのクイズ番組「カルトQ」のYMO特集に砂原良徳出演。 見事、カルトキングに輝く。 <04> テレビ東京の音楽番組「モグラネグラ」金曜パーソナリティーがスタート。 ※以降、93年10月までバンドとしてレギュラー出演。その後、94年3月までは瀧がソロで出演した。 <04.21> ビデオ“ミノタウロス”リリース。収録のクリップ“カフェ・ド・鬼”(もっとおもしろい顔MIX)が、国際ハイビジョンコンクール最優秀賞を受賞する。 <05.13> 広島南区民文化センター ※「Kicking Noise of Denki Groove〜超巨大ダンプ豚グソ号発進ツアー」開始。 BPMを異常に早くした「マイアミ天国」で石野が窒息寸前になる。 また「生ゴミOH2」がラップではなく歌モノとして演奏された。 <05.14> 福岡ガスホール <05.17> 仙台イズミティー21小ホール <05.19> 札幌道新ホール <05.21> デビュー・アルバムのリメイク&リミックス集“FLASH PAPA MENTHOL”リリース。 ※ロッテルダムのユーロマスターズ、ピチカート・ファイヴの小西康陽、 ビブラストーンズなど、ゲストのプロデューサー/リアレンジャーも多彩。 <05.27> 新潟PHASE <05.31> 愛知県勤労会館 ※遅刻した石野、慌てて別の会場に向かってしまう。「あのー、今日ここに出演する者なんですけど……」「ハア?」 <06.03> 大阪サンケイホール ※この頃からメンバーの間でアナログ・シンセのTB-303フィーバーが起こり、 「カフェ・ド・鬼」も“スペシャルゴリラ面ミックス”として303を使用した アレンジとなった。 <08.01> ドリルキング・レーベル第二弾、子門'ZによるRCサクセションのカバー・シングル“トランジスタ・ラジオ”リリース ※メンバーのチヨノフG、ナガシマシGEO、 ライ-DEANはこの1ヵ月後に死亡予告。 <08.08> 新宿日清パワーステーションにて「瀧と卓球出会って10周年」ライヴ ※直前まで石野失踪。オープニングに砂原がアコースティック・ギターによる ディーヴォの替え歌を披露。その後、瀧と石野の足跡をたどったスライドが 上映された。当日のみのプレミアム・グッズとして記念絵皿を物販。 <08.09> 東京ドームのニッポン放送開局40周年記念「ザ・ライブマシン'93」に子門'Zが出演 ※石野がギター、砂原がティンパニー、瀧がトロンボーンなどを携え、ゴダイゴの「ガンダーラ」「モンキーマジック」、寺尾聡の「ルビーの指輪」をカバー。超末広がりのベルボトムという 衣装も観客のド胆を抜いた。 <08.17> 神奈川県民ホール ※関東近県「汚物処理班緊急出動ツアー」開始。マスコミ招待日のこの日、 自他ともに認めるワースト・ライブとなる。 <08.24> 千葉県文化会館 ※神奈川県民ホールのライブ後、一挙に作った新曲中心のセット。「130R」「水の旅人II」「さらば水の旅人」「THEガマン」 「TRAVELER OF WATER RETURN」など、このうち何曲かはタイトルを変えて後の “ビタミン”に収録された。 <08.31> 浦和市文化センター ※17日と24日の中庸的な内容。演奏された新曲は「FLOPPY DISCO」 「水の旅人II改め俺は田舎のブルース・リー」「富士山」の3曲。 ギターにエルマロの會田茂一、ドラムに江川ゲンタが参加。 <12.01> アルバム“ビタミン”リリース。 ※電気グルーヴ第二期を告げた衝撃作。 バカ詞的要素が極端に後退し、10曲中4曲がインストとして収録。 <12.02&03> 札幌ファクトリーホール ※「野村ツアー」開始。この札幌公演のみ、 メニューを変えて「MUD EBIS」「ニセモノ・フーリガン」 「DISCO UNION」「DS MASSIVE」が演奏された。音量が大きかったために、 会場の天井の吸音材がボロボロと落ちる。 <12.06> 仙台イズミティー21大ホール <12.07> 岩手教育会館 <12.09> 鹿児島市民文化ホール ※初の鹿児島公演だったが、客席は予想以上にガラガラ。 メンバーは逆にこの状況をおもしろがり、近年めずらしいほどMCが長くなった。 <12.11> 福岡電気ホール ※ライブ終了後、石野はクラブDJ、砂原はボーリング、瀧はキャバレーに行く。 <12.15> 大阪厚生年金会館 <12.16> 名古屋市公会堂 <12.18> 福井あじさいホール <12.19> 新潟PHASE <12.21> 高知県民文化ホール ※飛行機に乗り遅れた石野、松山行きの便しか取れず、高知までタクシーで向かう。到着した時、すでに客入れは完了していて、楽屋口からステージまで直行。 <12.24> 広島アステールプラザ大ホール . ■1994 <01.08> 東京ベイNKホール ※「富士山」の演奏中、ダンサーとして10数人の子供が舞台にのぼるが、まったく言うことをきかずにスタッフを慌てさせる。この公演の模様はビデオ“ケンタウロス”で観ることができる。 <01.10> 渋谷クラブクアトロでシークレット・ライブ <02.02> シングル“N.O.”リリース。 ※カップリングは「4U RACK AND ROLL」と 「N.O.」ケン・イシイ・リプロダクション。 <03.29> 「オールナイトニッポン」惜しまれながら最終回。 番組終了後、ニッポン放送玄関前におよそ500人のファンが押し寄せる。 <03.30> 石野卓球によるテクノ・ミュージックの単行本「テクノボン」 (野田努共著/宝島社)刊行。 <04.26> 京都会館第二 ※「下痢便発電所異常なし'83ツアー」開始。 <04.28> 神戸国際会館 <05.01> 福岡サンパレス <05.03> 浦和市文化センター ※MCの途中、客席から「まりんコール」が湧き起こり、 メンバー大ショック。ステージはその後メロメロになり、電気グルーヴ解散の危機。 <05.04> 神奈川県民ホール ※前日の事件の暫定措置としてMCを一切カット。 観客に幻滅したメンバーが自暴自棄的な盛り上がりを見せて関係者を青くさせる。 <05.07> 千葉県文化会館 ※精神的に落ち着きを取り戻すが、依然MCはなし。 しばらくMCをはさまないことが決定される。 <05.08> 府中の森芸術劇場どりーむホール ※ツアー最終日ということでリラックスしたステージとなる。 アドリブ的にクラフトワークの「放射能」が演奏された。 この夜の打ち上げでは石野がDJを務めたが、 自らの音楽遍歴をテーマにレコードを回し、大いに盛り上がった。 <05.21> “電気グルーヴのテクノ専門学校 vol.1”リリース ※ワープ、ライジング・ハイ、R&Sの海外レーベルからセレクションした コンピレーション・アルバム(ソニーレコード) <07.25> パチパチ・オリジナル文庫「電気グルーヴお兄さんのお仕事いろいろ」(ソニーマガジンズ)発刊 <08.01> セカンド・ビデオ“ケンタウロス”/ドリルキング・レーベルによるオムニバス・アルバム“ドリルキング・アンソロジー”/12インチ・シングル“ZINSEI〜Hardfloor Remix”同時リリース ※“ケンタウロス”はVHSのみ初回限定で“シミズケンタウロス”(「ポップコーン」「新幹線」のCGシンクロ映像)との二本組。 <08.21> “電気グルーヴのテクノ専門学校 vol.2”リリース <11.02> シングル“ポポ”リリース。 ※カップリングは「カフェ・ド・鬼〜望郷編〜クレーターニキビ面MIX」「ムジナII」 <11.21> “電気グルーヴのテクノ専門学校 vol.3”リリース <12.01> アルバム“ドラゴン”リリース ※前作“ビタミン”からの流れをまたひとつ深層に掘り下げ、 世界のテクノの潮流と足並みを揃えながらも、国内での電気グルーヴの“在り方”をシンプルに提示した意欲作。 <12.05> 仙台サンプラザ ※「たんぽぽツアー」開始。当初ツアー名は 「元祖生理用ショーツに陰茎ねじこみ健康法」だったが却下、 サブタイトルとなる。このツアーでは、ライブ前にDJ田中フミヤのプレイを組み込んだイベントバージョンと通常のライブバージョンの二種類が会場に合わせて用意された。 <12.07> 名古屋国際会議場センチュリーホール <12.14> 月寒グリーンドーム <12.19> 大阪城ホール <12.21> メルパルクホール広島 シングル“カメライフ”リリース <12.23> 福岡国際センター <12.26> 横浜アリーナ ※会場、キャパシティーともに電気史上最大の規模となったライブ。このステージの直前、それまでのツアーでの心身の辛さに 「変わらなきゃ」と石野は髪を坊主に刈った。 . ■1995 <01.02> 12インチ・シングル“ドラゴンEP”リリース ※アルバム“ドラゴン”より「BARON DANCE」 「THE MARBLE MEN」「BRAZILIAN COWBOY」 のミックス・カット、および新曲「DINOSAUR TANK」を含む。 <04.21> シングル“虹”リリース ※カップリングの「ポマト」は「カフェ・ド・鬼」シリーズの外伝。 <06.08> 石野&瀧のユニット「人☆生」誕生 ※オムニバス・アルバム“今夜はラップダヨネ”に「 四番打者なのだ!」で参加。 07.01リリースのカラオケ版 “今夜はラップが入ってないんダヨネ”にはトラックが収録された。 <07.20> バリ島 ※NHK BS番組「アジアライブ」公開収録ライブ。 レーベル・メイトの五島良子をゲストヴォーカルに迎えて「虹」を演奏する。 <08.01> ボックス・セット“PARKING”リリース。 ※石野卓球“DOVE LOVES DUB”/砂原良徳“CROSSOVER”/ ピエール瀧“MECHANO”/スペシャル8cmシングル (「電気ビリビリ〜皮のばしMIX」「ノイノイノイ〜Mijshol Mix」 「ポポ〜毛糸の帽子Mix」未発表テイク)/運転手付き <08.20> 大阪万博公園おまつり広場 ※「電気グルーヴ 10th Anniversary〜野グソ飛ばし大会」関西編。五島良子をゲストヴォーカルに迎えて「虹」、 漫画家の天久聖一を迎えて「モテたくて」、 豪華エキストラを従えた「ポマト」なども演奏。 <08.27> 日比谷野外音楽堂 ※「電気グルーヴ 10th Anniversary〜野グソ飛ばし大会」関東編 <09.01> 石野卓球“DOVE LOVES DUB”/砂原良徳“CROSSOVER”/ピエール瀧“MECHANO”リリース。 ※“PARKING”にセットされた各ソロ作品を単品ずつ発売。石野作品は「3枚だと思ったら4枚だった」を追加、砂原作品は 「HULALOOP(AUDIO ACTIVE REMIX)」「MFRFM(ARMED)」リミックス2曲追加。 <10.11〜17> アルバム『ORANGE』曲作り合宿 ※山中湖のスタジオに1週間こもって収録曲を上げる予定だったが、抜け出して甲府に遊びに行くわ、牧場にタマゴを拾いに行くわ、結局「誰だ!」と「スコーピオン」の2曲しか出来上がらず。メンバーによる印象は「とにかく寝た」の一言。また、瀧が打ち込んでいたハードディスク・サンプラーを石野が故意(?)にフォーマットしてしまうという事件もあった。 <10.20> 石野、岡村靖幸の楽曲リミックス作業 ※「いつかは必ず出会うだろうなって、昔から思っていた」(石野) <11.06> アルバム『ORANGE』レコーディング開始 ※信濃町ソニースタジオにて、ゆるやかにスタート。 <12.27> アルバム『ORANGE』レコーディング終了 <12.28〜31> グアム島 ※レコーディング終了の翌日から、媒体広告&ツアー・パンフレット用写真の撮影のため海外へ。同行スタッフの中で唯一、グアム経験者だった当時のマネージャー・土井くん、はしゃぎ過ぎて射撃2発+射精1発+ゲンコツ3発をくらう。またこの旅行中に瀧、生まれて初めて「ご飯はコワイもの」と知る。 . ■1996 <01.13> 「ツアーめがね」用のライブ・オケ録り開始 <02.21> スポーツ・ウェア「FILA」CM曲レコーディング ※ナレーション台詞を椎名基樹が担当、タイトルは「無題」。 <02.24〜27> 石野と砂原、韓国のポンチャック歌手、李博士(イ・パクサ)のリミックス作業 ※「パクサをやってつくづく思ったのは、面白い素材はいじらないで、そのままのほうがいいってこと。珍獣は珍獣のまま、そっとしておくべき」(石野) 「そうそう、ナマで食べるに限るってこと」(瀧) <02.26〜27> 瀧、ツアー用のライブCG編集 <03.01> アルバム“ORANGE”リリース ※「押忍、軽くキちゃっbトます。」のキャッチ・フレーズのもとに発表された、電気グルーヴ通算7枚目のアルバム。“VITAMIN”“DRAGON”から踏襲された完全本気のサウンド・プロダクションに、オスの感性を剥き出しにした「バカ詞」をフォーキーにミックスさせた、今後の電気bフ指標を占うための基軸作。収録曲「VIVA! アジア丸出し」のコーラスに岡村靖幸、「反復横飛び」のナレーションに徳光和夫を迎える。 <03.04> NTV系テレビ番組“MUSIC PARK”公開ライブ ※「ツアーめがね」に先駆け、渋谷「ON AIR NEST」にて“ORANGE”収録曲を中心に演奏。 <03.08> 三郷市文化会館 ※「ツアーめがね」ゲネプロ。終了後、急遽、曲順の入れ替えが決定されたために、砂原がスタジオに直行(泣)。 <03.11> 宇都宮市文化会館 ※計23本に渡る「ツアーめがね」開始。瀧曰く「ものすごくダークな予感がした始まりだった……」。 <03.13> 大宮ソニックシティ ※まったくメンバーの印象に残っていないライブ。瀧曰く「大宮フリークス時代だったら憶えているんだけど……」。 <03.14> 市川市文化会館 <03.18> 府中の森芸術劇場 <03.19> 神奈川県立県民ホール ※「この辺りまでは自主的にイベントを作る感じで、ワイワイ楽しくやってたんだけど……」(石野) <03.22> 静岡市民文化会館中ホール ※石野のおばあちゃんが来場。またこの晩、瀧の実家に砂原が宿泊。「まりんが寝ている間に、瀧の親父が財布を抜き取ってたんだよな……」(石野) <03.23> 名古屋市民会館大ホール ※ライブ後、瀧は中京テレビ打ち合わせ、石野はクラブDJ。「俺が一生のうちで最後に名古屋でDJやった日」(石野)……何があったかは推して計るべし。 <03.26> 広島厚生年金会館 ※瀧、ライブの打ち上げ中に暴れだす。「このツアーで俺がモテていないことに気がついた日だった……」(瀧)「ここから始まったんだ。ダーク・ツアーの幕開けが……」(石野) <03.28> 熊本県立劇場演劇ホール ※広島で自分がモテていないことに気がついた瀧、ライブ後のタウン誌の取材に来た女性記者に親しげな対応を見せる。「……女の優しさに飢えていた頃だね」(瀧) <03.29> 福岡サンパレス ※この日、およそ2年間バンドについていた前任マネージャー土井くんが職を離れる。 <04.01> 高松市民会館 ※本番前、フラっと散歩に出かけた石野、道に迷ってしまって会場まで携帯電話で誘導してもらい、開演5分前にようやく辿り着く。 <04.04> 大阪厚生年金会館 ※関西4連泊がスタート。瀧、高熱で完全ダウンするも、この日のライブ後、名古屋へ赴き、中京テレビの番組「ここにシャチあり!」の初回に出演。また、現マネージャーの道下(当時は雑誌編集者)が、石野から「血のイニシエーション」を受ける。 <04.05> 神戸国際会館ハーバーランドプラザホール ※観客は少なかったが、メンバー曰く「気分的に盛り返した良いライブ」。 <04.07> 京都会館第一ホール ※トータル3時間の内、MCが半分という悶絶ライブ。あまりのMCの長さに、途中からステージに椅子が設けられた。ライブ後に石野、トイレのドアを空けて排便し、その一部始終を瀧に見せつけるという一幕もあった。 <04.11> ラジオ番組「ドリルキング・アワー」スタート(TFM系/毎週金曜深夜1時〜2時) <04.12> 伊勢崎市文化会館 ※自他共に認める最悪ライブ。本番中、機材トラブルで演奏が止まってしまい、途中のセットをごっそりカットしてしまう。ライブ後、やり場のない怒りをメンバーは「ポカリ、弁当、ロッカー」の順で楽屋にぶちまける。 <04.15> 仙台サンプラザホール <04.16> 岩手県会館 <04.18> 北海道厚生年金会館 <04.20> 新潟テルサ <04.21> 富山県民会館 ※砂原、髪形をリーゼントにして出演。 <04.23> 日本武道館 ※ツアー最終日ということでメンバーの意気も上がるが、ライブ終了後、楽屋で大きいトラブル発生。石野と瀧、ついに男泣き。その日の深夜、大暴れした瀧、翌24日の昼ごろ、世田谷公園のベンチで目が覚める。 <04.26> 赤坂BLITZ ※ゲスト・トークに天久聖一が出演した「ツアーめがね」追加スペシャル・ライブ。この日限り、瀧と天久によって結成された「いぼピアス」のステージも披露される。瀧はハイレグ水着+垂れ目サングラスに拳銃を所持、天久はシャネル・マークの金太郎姿にステッキを携えたスタイル。ちなみに二人とも金玉をはみ出させていた。 <05.26> 中京テレビ野外イベント“ROCKじゃん!!” ※警官の衣装で白バイに乗ってメンバー登場。演奏曲は「ツアーめがね」のオリジナル・セットに加えて、カラオケによる「勝手にしやがれ」「勝手にシンドバット」。 <07.29> シングル・プリプロ開始 ※楽曲自体はボツったが、実はここから次アルバムの作業が緩慢に開始される。 <08.09> テレビ番組“VIDEO JAM”出演 ※テレビ朝日系の音楽番組パーソナリティー。共演MCは、8月が篠原ともえ、9月が真城めぐみ(ヒックスヴィル)。 <09.09> VIDEO JAM SPECIAL LIVE ※渋谷「ON AIR EAST」にて、テレビ番組“VIDEO JAM”の企画ライブ出演。演奏は高速ガバ・ヴァージョンの「誰だ!」「富士山」「カフェ・ド・鬼」「電気ビリビリ」の4曲。 <09.26> 中京テレビ“ここにシャチあり!”最終回 ※瀧が半年間レギュラー出演していた番組。この収録の際、クイズの賞金50万円を当てた瀧、その使い道をラジオの企画で募集し、20万円を競馬1頭(エアグルーヴ)に注ぎ込むが大ハズレに終わる。 <10.05〜08> アルバム歌詞合宿 ※石野と瀧、伊豆で山ごもり。途中から砂原も加わって、次回アルバムのテーマを構想する。「その成果はあった……」とメンバーは自信をもって語る。 <11.02> 日大芸術学部の学園祭に瀧が出演 ※漫画家・楳図かずお氏と対談。瀧曰く「……猛獣使いの気分だった」。 <11.11> アルバム・レコーディング開始 ※緩慢に開始されていた次回作レコーディングだったが、ここで正式にスタジオ入り。 <12.28> 1996年仕事納め ※アルバム・レコーディングのスタジオで96年の活動を打ち上げ。新春早々から作業は継続され、次回アルバムのリリースは97年4月予定。 |