投稿者:Lee Seung-won(承元) 投稿日:2000/9/21 13:11
こんにちは! 承元です。 日本から帰国し、また生活の戦争場に飛び込んでから2週間が過ぎました。 帰って最初の週はとても辛かったです(六日しか過ぎてないのに、とても懐かしくて....)。 一生懸命働いて、それで会社の事業が日本間まで広がって、出張で日本に行くように成ったらいいなと思います(もちろん会社の金で…^.^)。
[自己紹介を簡略にします。 私は韓国のソウルに住んでいる李承元です。 このサイトで知り合った友達の招待で8月23日から28日まで日本旅行をして来ました。 とても楽しく、日本友達の親切に感動した旅行でした。それで、彼らの親切にちょっとでも感謝の表示をしたくて、また、皆さんにも興味あることじゃないかと思い、旅行レポートを書く ことにしました。]
================================ 日本旅行記…..Respectable Person ================================
二日目 朝起き、ひどい喉の渇きを感じました(多分、前日の飲みすぎが原因でしょうね)。 しかし、部屋の中には飲み物が何もありませんでした。仕方なく、何も飲めずホテルを出るしかありませんでした。後で、ホテルの支配人に水のある所を聞いてみると、水道水を飲みなさいと言われました。水道水をそのまま飲めるなんて!!韓国ではそのまま飲みません。もちろん、政府はそのまま飲んでもいいと広報しているけど、家と会社では水を買って飲んでます。日本の社会基盤施設のQualityが韓国より高いことを実感しました。 その日の予定は、午前中に秋葉原など東京市内を観光し、午後6時にKyontaさんとKanakoさんのVoodoo Hawaiianコンサートを見に千葉へ行くことです。
昨日、 Kyontaさんから池袋周辺の地図を教えてもらいましたが、やっぱり、駅まで行くのは簡単のことではありませんでした。ホテルから50mくらい離れているマルイ百貨店で左側に回ると池袋駅がありますが、私はそのまま百貨店を通り過ぎ、まっすぐ行ってしまいました。
結構歩いたと思います。周りはもう住宅街の風景になっていました。 日本の方に道も尋ねないで、外見は日本人と同様な形で歩きましたが、私の目は池袋駅を必死で探していました。 今思えば、私は道を探しているその時間をとても楽しく感じた思います。
日本を感じる… 昔の城や文化財みたいに歴史的意味のある物やWorld Leaderとしても日本の技術を見るより、2000年8月の日本を、普通の人々の生活を見るのが私の希望でした。 見慣れない風景を見ながら歩いたら、一つの駅に着くことが出来ました。でも、池袋駅ではありませんでした。結局、一駅歩いて来たことになります。
ともあれ、やっと山の手線に乗れました。ここで、どうして山の手線をJR線と呼んでいるか不思議に思いました。なぜなら、初日道を探すとき、とても混同したからです。 目的地は秋葉原。
[私は現在、プログラマとして働いているが、まだ大学生です。今度の大学は2度めです。一番目の大学の時は“環境工学”を専攻しました(電子工学科に行きたかったですが、点数が足りなくて….)。日本はどうか知りませんが、私が大学に進学するその時(92年)は大学を卒業しないとまともな仕事に就くごとができないという社会雰囲気でした。 だらか、自分のやりたいことよりまず、大学に合格することが第一でしたので、私もとりあえず、 自分の好きな分野じゃない科に入学しました(今、思えば私の人生の中で一番悲しく、後悔の時期です…T.T。 しかし、今の若者は私みたいな進学はしません。もっと勉強したい人は進学しますが、早く仕事がしたい人はプロの世界に入ります。突然のことかも知れないこの現象について、ある分析家は「TAIJI and Boys-韓国の歌手-」の音楽が影響を与えたと分析しましたけど、私はよく分かりません。 でも、21世紀に韓国を導く若者の選択に拍手を送りたいと思います。)。 96年大学を卒業して、悩んだ後、[電子工学科]に入学することを決めました。その後は、軍隊に入り義務期間を終えました(軍隊から開放された日は世界史にも残る2000年3月4日)。そして現在のWeb Programmerまで来てしまいました。多分、来年の秋頃は大学に戻って、残りの勉強をしていると思います。]
私は日本の最新技術が含蓄されているいろんな電子機器やPCソプトを秋葉原で見たかったです。しかし、ちょっと失望してしまいました(ごめんなさい)。 韓国ではヨンサンという日本の秋葉原と似たところがあります。秋葉原とヨンサン、あまり差を感じませんでした。色んなCellular PhoneやAV機器を売っている点は…. 詳しく見なかったけど、大きな技術的差を感じる機器はなかったです(最近、日本で作られている製品は韓国でも同時期に店で買うことが出来ます。そのせいだと思います。)。 AV機器やConvenience Gearなどは知られているように日本が世界一ですが、韓国との技術差がだんだん狭くなっているところです。ただ、日本商店のマーケティング技術に関して習うべき点は多いと感じました。
環境が変わったせいかよくお腹を痛めました。その日もお腹が痛くて、ある商店に入りました。商店は2階からあり、降りる階段と登る階段が正反対にありました(いいアイデアだと思います)。御手洗いはびっくりするほどきれいでした。 韓国のヨンサンにもこんなにきれいなトイレあったけ?と思うくらいです。お客さんが店に入り、なんか買いたい気持ちに成れるように展示したことや各階に互いに関係のある商品(例え、2階はゲーム、3階はビデオ、4階はプラモデルなど)を展示したこと、一回来た人はまた来たく思うくらいの親切な店員、トイレを利用する目的で来る人のためきれいに整理しているトイレなど、一軒の商店から多くの日本式マーケティングを習うことが出来ました。 今度の旅行から得た大きな収穫の一つです。個人的は考えではこのような日本人の姿勢を習わなければと思ってます。
一つ物足りないと思ったのは池袋や秋葉原にInternetが使える店がなかったことです。私はInternet中毒者だと思いますが、二日間パソコンを使うことができないなんて、とても絶えない時間でした。 韓国では平均50m間隔にそういうInternetが使える店があります。で、出張や外出の時もいつでもパソコンを使えることが出来ます。普通、24時間営業なのでメールや他のこともチェックすることが出来ます。 私が見つけなかったからでしょうか。
ホテルに戻り、ちょっと休んでから午後の約束のためホテルを出発しました。一生の中で一度になるかも知れないKanakoさんとの出会いなので遅れないように約束の1時間前ホテルを出ました。その上、また地下鉄を乗れることに恐怖感を持っていたので…
kyontaさんと会い、地下鉄に乗りました。とても混んでいました。しかも、途中で事故もあり電車は延着し、Kyontaさんは約束の時間に遅れるのではないかととても心配しました。 その時、この方は本当にPrincess Princessの音楽を愛し、またKanankoさんの音楽を愛していると感じ、彼女達の音楽を自分の全部だと思っていることに気が付きました。 私もそう思っていますが、他の人からそう姿を発見すると別の美しさが感じられました。 私は千葉駅に着くまで今日のことが現実か夢か分からないくらい実感できませんでした。 やっと、駅に着き直ちにライブハウスの方に行きました。
また、驚きました。 それはライブ場が思ったより狭かったからです。こんなに狭い所で演奏するような人?と思いました。 韓国で見たミュージックビデオやライブビデオでは大きな舞台で演奏したのに…. 昔、ビッグスターだった韓国の歌手なら絶対に考えられないことです。 私は感動しました。 私達が着いて10分ほど経ったらライブが始めました。その前、出来るだけステージの近いところまで行きました。
いよいよライブが幕を開き、何人か舞台に現しました。彼らがVoodoo Hawaiianであることは後で分かりました。その中で、一人の女性が舞台の真ん中に立ち、レンタンの光を自分の顔に向け照らしました。 アッ!!Nakayama Kanakoだ!! と思った瞬間、ライブは始まり、激しいロック音楽の中でしばらく動くことも出来ませんでした。感激の瞬間でした。 Voodoo Hawaiianのコンサートで、Kanakoさんの熱情的な舞台姿や大勢のfan達が彼女の音楽に熱狂するのを見て本当に感動しました。出来るなら今の雰囲気をビデオで撮り、韓国に持って帰りたかったです。私の大事な思い出になるように。
[でも、今度の旅行でビデオカメラは持っていきませんでした。以前、ビデオカメラを使ったとき、撮影する間、一人ぼっちになった気持ちが強くて、それであまり使わなくなりました。 今度は自動カメラを持っていきましたけど、それもあまり使う機会がありませんでした。写真を撮る時間ももったいなく、写真を撮るより私がいる今の瞬間をもっと楽しめたかったからです。それで、六日間の旅行中に経験したすべてのことや、その瞬間思った私の考えまで頭の中に入れようとしました。 でも、写真をあまり撮らなかったことはすごく残念です。]
ライブが終わり、次のチームのコンサートが始まりました。 彼らも結構実力のあるチームのようでした。 (韓国のソウルには弘益という大学があります。その大学の周辺にもここのライブハウスのような場所が結構あります。私はこのような音楽が一つ一つ集まって韓国の音楽をレベルアップするのではないかと思います。)
Nakayamaさんのライブが終わり、当然私は帰ると思いましたが、なんとKyontaさんはNakayamaさんを会いに行きましょうって言いました。もちろんすごく驚きました。 実際に会えるなんて! すべてのコンサートが終わり、kanakoさんがVoodoo HawaiianのCDにサインをする行事が始まりましなんとた。
Kyonta : これからNakayama KanakoがVoodoo HawaiianのCDにサインをする行事が始まります。私があなたをKanakoさんに御紹介します。お金は持ってますか。 承元 : ありがとうございます。(財布から4千円を出しました) Kyonta : 多すぎます! 承元 : でも、日本のCDは大体3000円じゃないですか。 Kyonta : ま、いいでしょう。 (やっとKanakoさんの前に立った) Kyonta : (日本語だから分からなかったけど、多分)kanakoさん、韓国から来たPrincess Princessのfan李承元さんです。 kanako : (目が大きくなり、びっくりした様子でした.) 承元 : (私も感激し、しばらく喋ることが出来ませんでした。そして)はじめまして、韓国から来ました。Lee Seung-wonです(緊張し、韓国式の発音で言ってしまいました。)。私はあなたとP2の音楽を愛してます。会えて光栄です。あなたのライブ声が聞きたくてここまで来てしまいました。 Kanako : ありがとうございます。 承元 : 多分、今の瞬間を死ぬまで忘れないでしょう、絶対に。 Kanako : 本当にありがとうございます。
そして握手をしました。 手がとても小さく、暖かく感じました。
[私が本当に感動したのは熱情的に歌を歌っているkanakoさんの姿でも、熱狂的にkanakoさんを応援するfanでもありません。本当はPrincess Princessの一人だったkanakoさんがこんなに小さな舞台でコンサートを開くような謙遜な人であることと音楽に対する彼女の熱情を感じ、感動しました。 私は音楽だけ好きになるようにしてます。Artistのfanになりたいですが、以前、悪いところを見てしまい、音楽まで嫌いになった経験があるからです。
しかし、kanakoさんの姿勢(次に話す香さんも)を見て、そんな心配は要らないって感じました。その上、とても尊敬できる一人の姿を見せてくれました。
そのお陰で、私はNakayama Kanako(Okui Kaoriさんも)を心から愛するfanに成れました。]
ライブハウスを出て、Cat’s Cradleのメンバや他のP2のfanと記念写真を撮り、ホテルに帰りました。
部屋に戻り、私はビールを飲みはじめました。一人でコンサートの感動をもっと感じたかったからです。 とても幸せな夜でした。
長かったけど、ここまで読んでくれてありがとうございます。 次は三日目で香さんのコンサートの話になると思います。
====================================== julianさんへ : 以前、掲載した内容では韓国と日本の違うところについて話しましたが、私は韓国と日本は結構似ていると思います。だからお互いに友達に成れると思います。 かえさんへ: あなたは韓国が好きですね。ありがとうございます。私は日本が好きです! PS. 私は自分の名前を日本人が発音するのに別に問題はないと思いました。でも、実際に発音するのを聞くとそうではありませんでした。以前、会った外国人達から名前の発音が難しいとよく言われました。それで、2年前から英語の名前を作り、使ってます。 その名前Cortezです。名刺にもCortez S. Leeとちゃんと書いてます。 でも、私は日本の友達が日本式の発音で承元って読んでくれたらもっといいなと思います。 ま、どっちでもいいですが。
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