01. | 早く家に帰りたい Homeward Bound (E) |
10. | フランク・ロイド・ライトに捧げる歌 So Long, Frank Lloyd Wright (C) |
02. | 動物園にて At The Zoo (F) |
11. | ザット・シルバー・ヘアード・ダディ・オブ・マイン That Silver-Haired Daddy Of Mine (E) |
03. | 59番街橋の歌(フィーリン・グルーヴィー) The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy) (C) |
12. | 明日に架ける橋 Bridge Over Troubled Water (F) |
04. | ソング・フォー・ジ・アスキング Song For The Asking (E) |
13. | サウンド・オブ・サイレンス The Sound Of Silence (C) |
05. | エミリー・エミリー For Emily, Whenever I May Find Her (D) |
14. | アイ・アム・ア・ロック I Am A Rock (C) |
06. | スカボロー・フェア/詠唱 Scarbo-rough Fair/Canticle (F) |
15. | 旧友/ブックエンドのテーマ Old Friends/Bookends Theme (B) |
07. | ミセス・ロビンソン Mrs. Robinson (From the Motion Picture The Graduate) (C) |
16. | 木の葉は緑 Leaves That Are Green (A) |
08. | ボクサー The Boxer (E) |
17. | キャシーの歌 Kathy's Song (D) |
09. | 手紙が欲しい Why Don't You Write Me (E) |
Live recordings: A) Detroit, Michigan - October 31, 1969 B) Toledo, Ohio - November 1, 1969 C) Carbondale, Illinois - November 8, 1969 D) St. Louis, Missouri - E) Long Beach Arena, California - November 15, 1969 F) Carnegie Hall, New York - November 27, 1969 |
Origins: Tracks 13,14,16,17 - originated on Sounds Of Silence. Tracks 1,3,5,6 - originated on Parsley, Sage, Rosemary And Thyme. Tracks 2,7,15 - originated on Bookends. Tracks 4,8,9,10,12 - originated on Bridge Over Troubled Water. Track 11 - originated on Songs Our Daddy Taught Us by the Everly Brothers. |
1969年秋、サイモン&ガーファンクルは15年にわたるデュオ生活のピークにいた。2つのグラミー賞受賞、数百万枚を売り上げたLP4枚、ナンバーワンを獲得した「サウンド・オブ・サイレンス」と「ミセス・ロビンソン」を含む1ダース近くに及ぶヒット・シングルの数々、そしてレコーディングを終了したばかりの名作『明日に架ける橋』(まだリリースはされていなかった)。こうした栄光を携えて、彼らは北米ツアーに出発する——その後13年間、ふたりがデュオとしてツアーを行なうことはなかった。
それからも何度かサプライズ的な再結成はあったが、サイモン&ガーファンクル作品について取りざたされるのはやはりいまでも、1960年代にふたりが残したものである。だが、当時のライヴ・パフォーマンスについて、CBSは公式録音を数えるほどしか行なっておらず、そのいずれも1997年に入るまで公式アルバムには収録されなかった——CD3枚組のボックス・セット『オールド・フレンズ』に、1967年1月のニューヨーク、リンカーン・センターでの5曲が収められたのが初めてである。このコンサートの全貌は2002年になってようやく、『ライヴ・フロム・ニューヨーク・シティ1967』としてリリースされた。
時代で語れば、本作『LIVE1969』は終わったばかりでまだ余韻の残っていたウッドストックと、同年12月に行なわれるオルタモントのフリー・コンサートのちょうど中間に位置する。このアルバムは彼らのファイナル・ツアーをたどった17曲のドキュメントであり、このきわめて独創性に富んでいた時代に、ふたりがどのような雰囲気を醸し出し、いかなる演奏をしたのかをあらためて伝えてくれる。10月と11月の6都市——デトロイト、オハイオ州トレド、イリノイ州カーボンデール、セント・ルイス、ロング・ビーチ、ニューヨーク——でのステージから曲を厳選。再発プロデューサーのボブ・アーウィン(過去10年間、レガシーからリリースされたサイモン&ガーファンクル作品をすべて手がけている)の手腕によって、当時のコンサートにあった魔法のような雰囲気が見事なまでに再現されている。
「『LIVE1969』の録音は申し分なく、そのパフォーマンスが見事に記録されている」と、バド・スコッパはライナーノーツに書いている。「そこがじつに素晴しい。というのも、サイモン&ガーファンクルは当時、別離を間近に控えていたにもかかわらず、間違いなく最高の状態にあったからだ」。スコッパは 2001年のボックス・セット『サイモン&ガーファンクル・ボックス・セット(1964-1970)』に収められたエクスパンデッド・ヴァージョン仕様の各オリジナル・アルバム——『水曜の朝、午前3時.』(1964) 『サウンド・オブ・サイレンス』(1966年初め) 『パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム』(1966年終わり) 『ブックエンド』(1968) 『明日に架ける橋』(1970)——のライナーノーツも手がけている。
本作『LIVE1969』と、18曲収録の既発盤『ライヴ・フロム・ニューヨーク・シティ 1967』との大きな違いは3つある。第一に、後者は単体のコンサートの模様を収めたものだが、このニューアルバムは、違う晩の違う都市でのステージから、すぐれたパフォーマンスを選りすぐっている。
次に、これは純粋に時期的な理由なのだが、1967年のコンサート(の大半)を構成しているのは、サイモン&ガーファンクルの最初の3枚のアルバム曲だ(例外は、まだアルバムに収められていなかったシングル「冬の散歩道」と「君の可愛い嘘」の2曲のみ)。1967年のコンサートのメインは『サウンド・オブ・サイレンス』の7曲である。1966年から67年にかけて、彼らは同アルバムのプロモーション用に北米およびヨーロッパ・ツアーを精力的に行ない、この間に3枚のLPと4枚のシングルをビルボード・チャートのトップ30位内に送り込んでいる——偉業である。
対照的に、それからほぼ丸3年が経過していることから、本作『LIVE1969』の収録曲は当然、よりバラエティに富んだものとなっている。'69年といえば『ブックエンド』はすでに発売されており、『明日に架ける橋』の録音も終了、リリースを翌1970年1月後半に控えていた時期である。この1969年のツアーでは、『水曜の朝、午前3時』からの曲をすべてカットし、スコッパいわく「全17曲のうち、『サウンド・オブ・サイレンス』と『パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム』(いずれも1966年発売)から4曲ずつ、『ブックエンド』(1968)から3曲、『明日に架ける橋』から5曲を収めた。例外はジーン・オートリーの「ザット・シルバー・ヘアード・ダディ・オブ・マイン」だけだ。ちなみに、彼らがエヴァリー・ブラザーズに影響を受けたのは間違いないだろう。エヴァリー・ブラザーズのヴァージョンは、1958年の彼らの自伝的アルバム『Songs Our Daddy Taught Us』に収録されている」
最後にしてもっとも重要な——そしてもっとも興味をそそられる——違いは、参加ミュージシャンにある。『ライヴ・フロム・ニューヨーク・シティ1967』はフォーク・デュオのステージを収めたアルバムだ。一方、本作『LIVE1969』は、オープニングとラストこそふたりによるアコースティック・セットだが、コンサートの肉となる部分は『明日に架ける橋』のセッションで中心的役割を果した4人の伝説的な腕利きスタジオ・ミュージシャンを従えての演奏である。当時、彼らがそうしたミュージシャンたちと共にスタジオに入り、同アルバムのレコーディングに2年間にわたって計800時間以上を費やしたという噂は広く流布していた。しかも、前3作でも多くのスタジオ・ミュージシャンを起用しているわけだから、ふたりがハル・ブレイン(ドラムス)、ジョー・オズボーン(ベース)、ラリー・ネクテル(キーボード)という、ハリウッドのいわゆる〈レッキング・クルー〉の主要メンバーと、ナッシュヴィルの〈Aチーム〉のギタリスト、フレッド・カーターJr.と共にステージに上がるのを見ても、ファンは驚かなかった。
『明日に架ける橋』はレコーディング音楽史に残る名作のひとつとして、世界中で高く評価されたが、同アルバム発売から間もない1970年初めにはすでに、サイモン&ガーファンクルのパートナーシップはすでに終わりを迎えていた。その後、再結成を望むファンの夢はしばしば思わぬかたちでかなえられている。たとえば1972年、民主党大統領候補ジョージ・マクガヴァンのためにマディソン・スクエア・ガーデンで開かれたベネフィット・コンサートへの登場。1975年には、1枚限りの復活シングル「マイ・リトル・タウン」(それぞれのソロ・アルバムに収録)のプロモーション用としてNBCテレビ『サタデー・ナイト・ライヴ』に、1977年にもう一度同番組に出演。1978年、アートのソロ・アルバム用にジェイムス・テイラーとサム・クックの「ワンダフル・ワールド」を新録。1981年9月、ニューヨークのセントラル・パークでフリー・コンサートを開き、翌'82年にはこのときの模様を収めた2枚組のライヴLPを発売。同年にヨーロッパ・ツアー、翌'83年には全米ツアーを行ない、1990年にはロックの殿堂入りを祝う式典でパフォーマンスを披露。そして1993年には、マディソン・スクエア・ガーデンのパラマウント・シアターで全日チケット完売となった21日間のステージを行なっている。
それから丸10年後の2003年にグラミー賞功労賞を獲得、ふたりは揃って再び人々の前に姿を現した。この授賞式がきっかけとなって、彼らは同年10月から12月の2カ月間にわたって北米ツアーを行なっている。同ツアーに合わせてレガシーはこのデュオの“殿堂入り”を認定、2枚組CDのアンソロジー・シリーズのひとつとして『エッセンシャル・サイモン&ガーファンクル』をリリースした。同アンソロジーには1964年から1975年までの録音から33曲を選び、ビルボード・チャートに入ったCBS時代の全曲と、アルバム・トラック10曲、ライヴ・パフォーマンスが8曲収められている。
これと並ぶ1997年発売の3枚組CDボックス『オールド・フレンズ』には、59曲が収録されている——チャート入りした全シングルと5枚のオリジナル・アルバムの大半の楽曲に加えて、デモ・テイク、クリスマス・ソング、(未発表曲の)新たに発掘されたマスター、10曲のライヴ・パフォーマンスなど、初出作品が15曲収められている。
最近では2004年3月、ポール・サイモンのソロ・アルバム『ソングブック』が再発された。サイモン&ガーファンクル関連の作品中もっとも入手困難で、ファン垂涎の的とされていたこのアルバムは、『水曜の朝、午前3時』が発売された翌年の1965年、サイモンのロンドン滞在中に録られたものである。1966年ニューヨークで『サウンド・オブ・サイレンス』用に録音される6曲(「アイ・アム・ア・ロック」「木の葉は緑」「4月になれば彼女は」「サウンド・オブ・サイレンス」「とても変わった人」「キャシーの歌」と、同年後半に『パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム』セッションでレコーディングされる3曲(「簡単で散漫な演説」「雨に負けぬ花」「パターン」、そして「スカボロー・フェア/詠唱」のカウンターメロディ、「ザ・サイド・オブ・ア・ヒル」)の初期ヴァージョンを、このレア盤では耳にすることができる。
本作『LIVE1969』のリリースによって、このデュオの歴史の大きな空白が埋まることだろう。また、本作は彼らの発展の歴史に光を当てるだけでなく、当時のアメリカ文化や政治的状況を現代に伝えてもくれる。公民権運動がピークを迎え、言論の自由と反戦を訴える運動が大きな盛り上がりを見せ、サイモン&ガーファンクルの楽曲に耳を傾け、コンサートに運んだファンの多くもそうした運動にかかわっていたあのころ。「過激で、激しく揺れ動いていた混沌の時代だった」とスコッパは書いている。「つまり、あの時代とわたしたちが生きている現代は、多くの点で似ているということだ。当時、わたしたちはサイモン&ガーファンクルを必要とした。そして40年後の今、わたしたちは再び彼らの力を借りることができるのではなかろうか」